7.「続・LACCO TOWER」
まだバイトもしてた僕の生活は、いわゆる一般的な生活とは大分違う、ハードなものだった。
バンド活動、会社運営、生活のためのバイト、3つを生活に落とし込まないといけなかったからだ。
1日は等しく24時間しかなかったので、必然的に無理をする生活スタイルになっていく。
過労でぶっ倒れて救急車で運ばれたこともあった。
ツアー途中のサービスエリアで、泣きながら逃げ出したこともある。
メンバー間もだんだん会社のことしか話さなくなっていった。
弱いところをメンバーに見せられなくなっていったんだ。
正直な話、この時のマネージャー&スタッフさんたちはキツかったと思う。
メンバーには言えない不安や不満を、彼、彼女らに話を聞いてもらうこともあった。
時には八つ当たりに近い感じで罵声を浴びせたこともある。
本当に申し訳ない。
今までギタリストとしてしか生きてきたことがなく、会社員になってまだ数年。
全然成熟できてなかった。
ストレスを発散する術も知らなかったし、良い意味での諦め方っていうものも知らなかった。
「なんでおれは寝ないで仕事してるのに、寝てるやつ、飲みいってるやつがいるんだ」
って勝手にイライラしてた。
しかもそれを誰にも言えない(笑)
勝手に一人で抱え込んで、勝手に一人で塞ぎ込んでた。
今ならこの考え方、働き方は完全に間違ってるって理解できるんだけど、あの当時の僕は本当に世間知らずの子供だったんだ。
そんなこともあって、メンバーとの溝は少しづつ広がっていった。
それでも辞めずに一緒にいたのは、根本の部分で、メンバーのことを好きだったからなんだけど。